流夏's profileCurrent Summer ~PTSDを越える...PhotosBlogLists Tools Help

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    April 23

    挨拶って難しい

    簡単なようで、意外と難しいのが、「挨拶」。
     
    小学6年、孤立していた時、私が「おはよう」と言うと、こっちの顔を見ようともせずに「うん」とだけ
    言って去っていったクラスの女の子がいた。あの子のあのリアクションは、今でも忘れられない。
    「おはよう」に「うん」はないだろーー!
     
    そんなことがあったからかないからか、私は挨拶にかなり敏感だと思う。
     
    近所ですれ違う、顔だけ知っている人。
    学校等で、一度か二度話した程度で、顔だけ覚えたような人。
     
    私はつい、そのくらいの知った顔の人に、挨拶をしてしまう方。
    そこらの温度差は人それぞれで、相手の方は私を知り合いとは認識せず、
    気づきもせずに素通りしていく人もいる。
     
    こういう場合、どうしたらいいだろうと色々迷ったけれど、基本的には相手の
    出方をチラ見して、即座に「挨拶する」または「挨拶しない」を決定しようと決めた。
     
    一方、こんなケースもある。
    よく挨拶する知人の隣にいる、知らない人。
    何度か挨拶するうち、私の中ではその人も「知り合いの人」になっていく。
    その相手単体で会った場合も、私は瞬間的に挨拶をしている。
    これは、条件反射みたいなの。
    わざと挨拶をしないで通り過ぎるのは、気持ち良くなくて・・・・・・
     
    矢張り、相手によって温度差はあるけれど、
    時と場合によっては「相手の出方を待つ」だけでなく、つい挨拶をしてしまう
    私のペースに巻き込むのも、「あり」だと思った。
    だって、気持ちよく挨拶したいじゃない?
    ニッコリ笑って挨拶をすれば、多分嫌な気分になる人はいない。
    それで相手も挨拶してくれるのであれば、すればいい。
    また、それでも相手が素通りする人なら、こっちも素通りをとおせばいい。
     
    相手の出方を待って対応を決めるのもいいけど、
    こっちのペースに巻き込んじゃう。それもまた、主体的でいいじゃないの!
    最近、そう思うようになった(^^。
    April 21

    怒りたくはないけど

    今日の昼間は、ママ友達とランチをした。
    その友達とは久しぶりだったので、とても話が盛り上がって、すごく良い気分になった。
    いつもは夜、カナタが中々宿題やらお風呂やらを始めてくれないとイライラしたけど、
    今日は何だか許せる。
     
    が、矢張りそれも程度モンダイでもあるのだろう。
    私がゆっくり待っていると、中々寝る準備をしてくれない。
    流石にキレた。
    我慢もできそうだったけど、ポーズとしてキレて怒ってみせた。
    怒ると、カナタは慌てて準備を始めた。
    そして、フォローとして「お母さんはカナタが大好きだよ」と言って、いっぱい頭をなでてあげた。
     
    本当は私だって怒りたくないんだ。
    最後の最後、寝る前に気まずい気持ちになってしまった。
    最近、育児書なんかに「叱らずに育てよう」なんていう文句があるけれど、難しいものだ。
    子供の自己肯定感を高めると言う意味では確かに、褒めて褒めて褒めちぎるのが理想なのだけどね。
     
    「時に、ポーズとして怒る(ふりをする)ことも必要」
    と、私は思ってしまう。
    そして、フォローとして「本当はあなたのことが大好きだよ。大好きだから怒るの。嫌いなら、怒りもしないんだ」
    と言って、頭をいっぱいなでてあげる。
    それが、関の山のような気がしている。
     
    全く怒らずに、子供がすぐにやることをやりおえてくれたら、言うことないんだけどなぁ・・・・・・
    April 11

    手紙~拝啓 十五の君へ~

    少し前、NHKみんなのうたで流れていて、大変話題になったアンジェラ・アキさんの歌。
     
     
    この曲の歌詞を聴くと、13歳だった中学2年の秋から冬の頃を思い出す。
    あの頃の曲じゃなくて、去年出た曲なのに、メロディなどからもあの頃の自分や周りの
    風景が、リアルに蘇ってくる。
    学校、当時の教室、制服姿の自分と友達、担任の先生、家の周辺、通っていた塾の辺り・・・・・・
    何がリンクしているんだろう。本当に鮮明だ。
     
    あの頃、全く持って、この歌詞の通りのことで悩んでいた。
    絶望して、先が見えなくて・・・・・・誰に悩みを打ち明けたらいいか解らず、
    っていうか、誰かに悩みを打ち明けよう何ていう発想すら思い浮かばなくて、
    この歌詞にある「未来の自分に宛てて」手紙を書く、なんて発想も全く無かった。
     
    悩んでいた当時は、大変で苦しくて仕方が無いのだけど、
    通り過ぎてしまうと、とても懐かしい青春の1ページ。
    切ないくらい懐かしいけれど、戻りたくはないかな・・・・・・
     
    悩んだこととか、劣等感にさいなまれたこととか、そんなことも過去になると楽しい記憶
    以上にインパクトのある懐かしい思い出になる。
    だから、今は本当に大変だけど、自分を信じて進んでごらん。きっといいことあるよ。
     
    私も、13歳の私にそんなことを言ってあげたい、とこの歌を聴いていて思った。 
    April 10

    「子供を癒す椅子」

    新聞の投稿欄で、とても心に残る投稿を見つけた。
     
    投稿者のお子さんが小学校に入学した時、先生が
    「お母さんは子供の椅子になってあげてください」
    と話したという。
     
    人は、疲れたときに椅子に座るとホッとする・・・・・・
    子供が疲れたときに、お父さんお母さんが椅子になってあげると、
    子供はまた、元気になれる、というものだった。
     
    カナタは2年生になった。毎日、お友達と元気に遊んでいるけれど、
    私は自身の経験からか、カナタが友達に嫌な思いをさせられてるんじゃないか・・・・・・
    と、まだ何も聴いていないのに、自然と思ってしまう。
    何か、出来上がっちゃってるどうしようもない「思考回路」って感じ。
     
    そんな時に、この投稿に出合った。
    まず、カナタは毎日元気に遊んでいるではないか。
    そして、「嫌なこと」から隔離するんじゃなくて、嫌なことがあっても立ち上がれる力を
    つけるのが正論である。
    そのために、親が「疲れたときの椅子」になってあげるんじゃないか。
    私は、カナタに何かがあった時に、大きな気持ちで受け止めてあげられる親でいたい。
     
    「解っちゃいるけど心配してしまう」私と日々、格闘しながら
    「カナタの椅子でいよう」と、言いきかせている。
     
    この投稿に出合ってよかった(^^)
    April 04

    cookie cookie

    クッキーを作った。
    ちょっとこげちゃったけど・・・・・・(^^;
     
     
    薄力粉にマーガリン、砂糖、卵を混ぜて・・・・・・
    カナタと一緒に思い思いの形を作った。
     
    いじめを経験して、女子全員に無視されて・・・・・・
    その無視した女子は、何故か料理・お菓子作り、裁縫が好きな子が多かった。
    (多分、ひとりかふたり、料理・裁縫好きな子がいて、その子に触発されて他の友人達もやっていた、、
    っていうのもあるかもしれない。皆が皆、同じ趣味を持つなんて、ありえないでしょう)
     
    そんなのが心の奥深くに刺さり続けていて、「お菓子なんて、天地ひっくり返ったってしたくない!」
    なんて思ってたけど。
     
    変われば変わるもんだ。
    カナタがおばあちゃんに「くまくんのおめでとうクッキー」という本を買ってもらった。
     
    これにレシピが載っていて、作りたいとせがまれたのだ。
     
    子供の力って、すごい!
    親のヘンなこだわりを、変えちゃうんだもの(*^^*)