流夏's profileCurrent Summer ~PTSDを越える...PhotosBlogLists Tools Help

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    May 15

    「卒業文集」

    福井県の中学校で、卒業文集に「『将来ホームレスになってそうな人』として男女別3位まで計14人の生徒の
    実名が記載されていた」という記事を見ました。
     
    こういうことが、大々的にニュースになる時代になったんだな、時代は変わったな、と実感しました。
     
    このたぐいの「未遂事件」に、遭ったことを思い出しました。
    小学校の卒業文集に、矢張り「なんでもナンバーワン」といったタイトルのものが企画されて、
    「有名人になりそうな人」とか「頭のいい人」といった項目を作って、項目別に、ナンバーワンを
    アンケート取りました。
     
    その中に「ネクラナンバーワン」というのがありました。
    「ネクラ」って言葉そのものが懐かしすぎですね。「とっても暗い人」ってことですが、
    私は39人が在籍するクラスで、「ダントツ1位、25票」を獲得してしまいました。
     
    アルバムの文集に載せるための、印刷用の下書きまで、できていました。
     
    男子は19人で、ひとりだけ「いじめに加担しない」態度を取り切った男子が居てくれたので、その子は
    入れなかったとして、7人は同性である女子が入れていたことになります。
    入れた女子って誰だよ一体~~!!!
     
    クラス全員からいじめに遭っている中、明るくしてたらバカだろうが。
    そう強気に思いつつも、
     
    「卒業文集に、これが載ってしまう・・・・・・」
     
    とても、ショックでした。
    孤立していた当時、非協力的な担任のもと、一度は「腹をくくり」ました。
    事情が事情だったから、これが載ってしまっても、仕方が無い!と。
     
    その後、仲良くしてくれたクラスの女子や、いじめに加担しなかった男子が食い止めたのか、
    この項目は一端、削除されました。
    対極にある「ネアカ(根っから明るい人)ナンバーワン」や、「頭のいい人」みたいなのは、
    残っていました。
     
    出来上がった卒業アルバムには、この「何でもナンバーワン」という特集自体が、
    なくなっていました。
     
    最後の最後、大切な卒業アルバムに「汚点」が残らなかったのはとても幸いでしたが、
    クラスの子の大半が、「いじめに遭っていてかわいそう」とか「何とかしたい」という思いでなく
    「ネクラ」というイメージで見ていたことが判明してしまい、とても傷つきました。
     
    中には「何とかしたい」と思っていた人もいるでしょうが、「集団心理」で、「面白半分」で
    「こういうことされたら、相手はどう思うか」という想像力が働かないまま、こういうことを
    してしまうことが、あるんですね。
     
    いじめをするって、ある種「麻薬」みたいなとこがあると思います。
    やり続けていると、ヘンな「快感」が伴うもの。
    多分、「自分より、その人の方が格下」みたいな優越感に浸れるのでしょうね。
    でも、それってとっても醜い心理です。
    で、やり続けるうち、相手を傷付けるようなことを言い続けるうに、最初はちょっと罪悪感が
    あっても、それが「普通のこと」になってしまう。
     
    怖いものです。
    これを食い止めるのには、矢張り、小学生中学生くらいの年齢だと、教師の指導が大きく
    ものを言うと思います。
    「自分がいかに醜いことをしているか」を伝えるのはとても難しい気がしますが、どうしたら
    子供たちに理解できるように伝えられるだろうか・・・・・・
    経験者として、自分なりに考えて行きたいと思います。
     
    August 12

    日航ジャンボ機墜落事故

    1985年の、日航ジャンボ機墜落事故から、今日で丸22年。
    去年の丁度今日、私は「あれから21年」という記事を書きました(↓)。
     
    ジャンボ機が墜落したということ。単独機としては、史上最悪の大惨事であったこと。
    500人以上の人生が、絶たれたかもしれないこと。
    当時12歳だった私よりも小さい子供さんも、多く搭乗していたこと・・・・・・
    家族のいるビジネスマンも、多かったこと・・・・・・大阪方面から、夏休みということで、東京
    ディズニーランドを楽しんで、帰る途中だった人が多かったこと・・・・・・
    様々な要因が、当時感受性の高かった私の心に、鋭くグサッと、突き刺さりました。
     
    ネットを探してみると、私のように「直接の知り合いはいないけれど、あの事故は本当にショック
    だった」と綴る、同世代も多い。矢張り、人の心に、悲しみを突きつける事故だったのだ。
     
    去年、「事故を風化させないために、私ができることは、忘れないことだ」ということを考えました。
    そんな訳で、私はネット上に、このことを今年も、書くことにしました。
     
    「茜雲」という本が、今我が家にあります。
    この事故の遺族の方々で運営されている、「8.12連絡会」編、本の泉社出版。
    遺族の方々のそれぞれの20年が、綴られています。
    20年の節目を迎えた一昨年、私は調子悪い中、涙を流しながら読みました。
     
    大切な家族をなくした悲しみを越えるのは、並大抵のことではないと思います。
    それを、力強く乗り越えようとしている姿には、本当に胸を打たれました。
    「8.12連絡会」という名前も、敢えて「遺族」という文字を入れなかったのだといいます。
    この名前に、遺族の方々の強さと「希望」を強く、実感しました。
     
    2年前に起きたJR福知山線の事故の、事故に遭った方々や遺族の方が運営されている
    同様の会も、「4.25ネットワーク」という名前で、この会の名前も、同じ思いを込めてつけ
    られたのかな、と思いました。
    JR福知山線の事故は、JRの体制に疑問があったり、多くの人が犠牲になられたり、また、
    人命第一の輸送機関の事故ということで、日航機事故と重ねての報道も見られました。
    8.12連絡会の事務局長の方も、このことで意見を述べられていました。
    そして、今年は、福知山線事故の遺族の方々も、毎年行われる慰霊登山に参加された
    と新聞で知りました。
     
    日航機事故に関しては、真相は未だに闇の中であり、今表に出ている「圧力隔壁の破壊」
    が原因、ということが言われているけど、真相は明らかではないという。
     
    遺族も、事故を見聞きしてきた人々も、誠意があり、納得の行く、疑問の残らない事故原因
    を知りたいのです。
    私は、こういった事故を調べる側や事故を起こした会社の方々には、
    「会社の利益になるかどうか」ではなくて、
    「もしも自分の家族がこうした形で突然、失われたらどういう気持ちになるか」
    ということを、しっかり考えて、調査をして行って欲しいのです。
    そういった想像力の上で、原因を究明して、決してこういった悲惨な事故を起こさないように
    勤めるのが、誠意であり、信頼性の高い会社と評価されることとなるのではないか。
    私はそう思います。
     
    輸送機関の、人命絶対安全に、全力を尽くすべきだと、私は訴えます。
     
    August 12

    日航ジャンボ機墜落事故から21年

    1985年8月12日午後6時56分。乗員乗客524名を乗せた日航ジャンボ機123便が御巣鷹山に墜落した。あの日から、今日で丸21年になる。
     
    あの日のことを、今でも鮮明に覚えている。
    21年前、私は12歳、中学1年生だった(逆算するとトシが解る・・・(笑))。静岡にある田舎のおばあちゃん家に泊まりに行った日。
    父は、大阪に出張に行く日だった。
     
    夜7時過ぎ、テレビでニュース速報が入った。「524人乗り日航123便が管制塔のレーダーから外れる」というテロップ。
    「墜落した可能性がある」と、祖父は私に説明した。
     
    その後、テレビは緊急報道番組に切り替わり、乗客名簿が読み上げられた。
    電車好きの父は、この日も電車で出張に行っていた。
     
    520人もの人がいっきに犠牲になる・・・・・・
    ものすごくショックを受けた。次々に読み上げられる名簿には、当時の私より小さい子供も少なくなかった。
    それがまた、本当にショックだった。
     
    「無事でありますように・・・・・・」
    胸騒ぎがして、一晩眠れなかったことを覚えている。
    生存者が4人しかいなかったことに、再びショックを受けた。
     
    私の父は電車で移動していたが、出張に同行する父の同僚と取引先の方が123便に搭乗して、犠牲になった。
    電車で移動した父とは、現地で落ち合うはずだった。
    父が作った資料のコピーが、御巣鷹山で遺品として見つかったと聞いたときには、この事故をよりリアルに感じることとなった。
     
    甲子園を見るため、一人で搭乗していた小学生の少年もいた。
    心細かっただろうなと、心中を思うと胸が痛くなった。
    私に出来ることは何だろう、と思い、「原因究明」を語っている番組をかたっぱしから見た。
    宿題はそっちのけ。何も、手につかなかった。夏休みの終わりに、宿題を仕上げるのが大変だった。
     
    昭和51年の「しりもち事故」の修理不備が原因で圧力隔壁が破損、垂直尾翼が取れ、操縦を司る油圧系統が落ち、操縦不能になった・・・・・・
    色々言われているが、真相は明らかではないとか・・・・・・
     
    あれから私は、8月12日が来るたびに、中学1年の時に感じた気持ちを、思い出していた。
    夜6時56分にはテレビをつけて、ニュースで追悼慰霊祭を見た。多分、年齢が上がるに連れて忙しくなって、見ない年もあったと思うが、必ずこの事故のことと、事故に大変ショックを受けた中1の夏のことを思い出していた。
     
    去年は事故から丁度20年の節目となった。日航機事故にまつわるドラマも放送された。
    あの頃は感受性が高かったのだろうか。直接、関わった訳ではないけれど、本当にショックを受けた日航機墜落事故。ずっと心に残り続けていたこの事故。
    その思いに区切りをつけるためにも、放映されたドラマを見届けた。
    その中には、ボイスレコーダーを流すシーンもあり、コックピット内での必死の操作、操縦の様子が生生しく再現された。
    涙が止まらなかった。
     
    去年は、航空機のトラブルが相次いだ年でもあった。
    そんなニュースを見聞きするたび、1985年の日航機事故を思い出した。 
    事故を風化させないために、私ができることは何だろうか。私は去年、こんなことを考えた。
    私に出来ること・・・それは、「忘れないこと」。
    きっとこれからも、何かの形で発信していこうと思う。
     
    この記事を、事故が起こった6時56分頃までにUPするため、PCを操作していたが、
    突然電源が切れた。
    この時間には間に合わないと思いながら、改めて立ち上げて記事をUPした。
    不思議なことに、刻まれた時刻は、墜落時刻の6時56分だった。 
    上手く説明できないけれど、こういうことってあるんだな、と思った。
     
    改めて、亡くなった520人のご冥福をお祈りします。 合掌